悲しき社畜が経済的自由を目指すブログ

これは、悲しき社畜が経済的自由を目指す物語である。

社畜の給料が安いのは当然

GWが終わり夏が始まる今日この頃、私の状況と言いますと、悲しき社畜として資本家様のためにせっせと働いている昨今ですが、相変わらず思うのは給料安いなあということです。

 

以前も書いたように、サラリーマンは自らの労力を会社に提供する代わりに金銭的報酬を受け取るという雇用契約を交わしています。そして、これは金融商品でいう債券投資のリスクリターンに近く、比較的リスクの低い資産運用になります。

 

日本の企業においては雇用規制が強く、一度雇うとクビにしづらいため、若いうちの給料は低く抑えられています。日本の企業での人的資本の投資は長い年月をかけて初めて報われるようになっているわけです。

 

さて、給料とはなんでしょう。それは利益を上げるためのコストです。企業は財やサービスを作るために設備や人が必要ですから、それらを金銭と引き換えに獲得して、それらのコストに利潤を上乗せして売上をあげることで、企業の拡大を図ります。

 

つまり社畜の給料は原価か販管費でしかないわけで、それらは利益を出すためにできるだけ抑えたいコストです。人材獲得のために仕方なく上げるものであり、喜んで上げるものではありません。

 

企業からすると利益は際限なく上げたいが、コストはできるだけ抑えたいというインセンティブがある以上、社畜の給与の伸びは企業の利益の伸びに対して鈍化せざるを得ないわけです。

 

資本家が獲得する利子率(r)は経済成長率(G)よりも上なのはある種当然である力学があるわけです。

 

で、ならどうするかというと資本家の側に回るか経営者になるか、労働者としてスペシャルとなるかの三つの手段があると考えます。資本家として悠々自適な生活を送るためには我々社畜にはすぐの達成は難しそうです。経営者になるのも自らに優位なポイント、エッジがあればありかもしれません。無難なのは労働者としてスペシャルを身につけることです。

 

スペシャルとは代替不可能性の高いスキルのことで、労働市場において希少性があるということです。今流行りのデータサイエンスなんかは、プログラミングと統計学が合わさったような分野ですが、このように複数の分野に横断した知識や経験はコモディティ化しづらいのでおススメです。

 

私の現在の業務においても、異分野のスキルと掛け合わせることで、価値を高められないかなあと思っています。

 

労働市場での希少性を高めておけば、資産運用もある程度のリスクを取れますので、人的資本と金融資本のバランスを見極めながら動いていきたい所存です。