悲しき社畜が経済的自由を目指すブログ

これは、悲しき社畜が経済的自由を目指す物語である。

『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』を読んで

ネット界隈では割と有名な、ふろむだ氏の本を読みました。

 

前のcisさんの本でもそうなんですが、一度読んだ本はこうやって記事にしておくと、読み直さなくても、どんな内容だったか思い出せるのでなかなかいいなあと思ってたりしてます。

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

 

 

1974年、カナダで選挙があった。その選挙を調査したところ、イケメンの政治家は、そうでない政治家の2.5倍もの票を獲得していた。 

 「そりゃそうだろ」と思うところですが、興味深いのは、投票した人は「イケメンだから投票した」と考えていないところです。「人柄が信頼できる」とか「経済政策に期待できる」とかの別の理由で投票したらしいのです。

 

これって結構驚きですよね。イケメンだから票は取りやすいという事実は想定どおりなものの、人間の意識と実行動は結構違うことがわかります。これは思考の錯覚と言えるでしょう。

 

ここで重要なのは、「人々が自分に対して持っている、自分に都合のいい思考の錯覚」 は、一種の資産として機能するということだ。本書では、これを「錯覚資産」と呼ぶ。

このような錯覚を資産としてみなすというのは面白い考え方です。無意識に資産として機能してしまうこの種の錯覚を活用しようというのがこの本のエッセンスでしょう。

 

思考の錯覚は、自覚できない。

 

だから、錯覚資産は、目に見えない分岐となる。

 

「レーダーに映らない」という特性が、ステルス戦闘機を極めて優秀な兵器にしているように、

 

「自覚できない」という特性が、錯覚資産を極めて優秀な武器にしているのだ。

 例として、起業という行為を考えてみましょう。0からビジネスを立ち上げる場合、どんなに優秀でも運の要素は非常に大きいです。しかし、一度成功した起業家は「錯覚資産」を手に入れます。一度成功したが大半の要素が運によるものだとしても、人々は「起業の成功者」と認識し、その起業家は錯覚資産を手にします。

 

その錯覚資産は、人材や資金の調達、製品の売上を用意にし、錯覚資産を保有していない他の起業家よりも、遥かに高い成功確率となるわけです。

 

「世の中不公平だ!」と思うのも自由ですが、このような事実がある以上、活用したほうがいいですよね。

 

とまあ、まだまだ面白い話はあるので是非お手に取ってみてください。