明けましておめでとうございます。
大してアクセス数がないブログではございますが、本年もよろしくお願いします。
さて、2020年最初のエントリですが、若干趣旨が変わったものとなります。
「高学歴は勉強しかしていないから感受性やコミュニケーション能力に乏しい」
「金持ちは卑怯なことをしているから儲かっている」
「美人は性格が悪いに違いない」
上記の台詞ってよく聞きますよね。
以前、「有名大学出身なのに仕事ができないやつがいた」と喜んで話す方がいました。個人的には何でその事実が嬉しいんだろうという思いを抱きつつ、その方の心理傾向について分析したことがあります。
ありきたりな結論ですが、彼は認知的不協和の解消によって喜んでいました。
認知的不協和とは、自身の中で矛盾した認知を抱える状況のことです。心理学で有名な逸話として「すっぱい葡萄」というものがあります。
葡萄を食べたい狐がいましたが、どうしても葡萄に手が届かず諦めてしまいます。しかし諦めた自分という事実と、葡萄を食べたかった感情が衝突を起こしている状態です。
この場合、事実は変えることができませんから感情のほうを事実に寄せて修正する必要があります。
そうすると狐の感情はこのようになります。「どうせ酸っぱい葡萄だから食べなくて正解さ」。
さて、話が戻りますが「仕事のできない高学歴」の存在が嬉しい彼の心理は同じような構造だと思います。まず前提として、彼は高学歴ではありません。高学歴であれば、仕事のできない高学歴の存在に恨みこそすれ、嬉しいことはありません(もしかしたら個人的に嫌いな人なら嬉しいかもしれませんが)。
高学歴ではない彼からすると、高学歴かつ仕事もできる人の存在は自らの価値を損なうものです。「仕事ができたとしても学歴で勝てない」。彼の勝てるところが無くなってしまうからです。
しかし、「高学歴で仕事ができない人」がいると、その不協和を消してくれる福音となります。「高学歴でも仕事は自分の方ができる」という風に。
ただ現実的に考えると、仕事なんて沢山の種類がありますから、あらゆる業務に対して学歴と仕事の優秀さに相関があるわけではありません。論理的な思考力が必要なく、機動性や体力が必要な仕事であれば相関性はほぼないでしょう。
ただ、彼のマインドセットは「高学歴であれば仕事もできる」という常識と同時に高学歴で仕事ができるなんて許せないというアンビバレントな状態となっていたため、高学歴だが仕事ができない者を認知することで解消されたのです。
さて、無理やり株式投資に結び付けて見ましょう。
大事なのは事実を最も重視することです。「こうあるべきだ」という思いや感情は、物事への視点や視差を見落とすことに繋がります。酸っぱい葡萄食べられなかった狐の逸話で言えば、食べられなかったとしても葡萄を酸っぱいと断定してはいけないのです。本当に美味しい葡萄であれば、工夫を施すことでありつける可能性があります。
仕事のできない高学歴の存在が嬉しい人の例で言えば、業務と学歴の相関を断定しないこと、そもそも高学歴ではない従業員がマジョリティの会社に入る高学歴者というのは、その大学の中の下位層だったのではないか?という仮説を立てることもできます(そんなこと考えるわけがないのですが)。
とまあ、認知的不協和が存在すると、現状認識をゆがめさせてしまいます。株式投資は市場が下がっているときに買うほど利益率は高くなります。勝手に儲からない市場や業界と決め付けてしまうと、イノベーションや新しいビジネスモデルが登場した際に大きな利益をとることができません。
認知的不協和に抗うことは、メンタル的な強さが必要ですし誰でも簡単にできることではありません。ただ、徹底的に事実と向き合うという姿勢は常に持っておきたいというお話となります。