悲しき社畜が経済的自由を目指すブログ

これは、悲しき社畜が経済的自由を目指す物語である。

コンサル会社は新時代の神社である(全然褒めてない)

社畜として勤めていると、よくコンサル会社と絡む機会が多い。

どういう時にコンサルが使われるのか

例えば、DX支援でもそうだし販売戦略の策定みたいなところでもちょくちょくコンサル会社が介入してくる。

コンサル会社が営業をかけてくるというのもあるが、そもそもは事業会社の担当者が「戦略なんてよくわからないからどこかにぶん投げたい」というニーズが根源的にあるからだろうと思われる。

確かに今まで事業のオペレーション改善などやらされていた担当がいきなり上から事業戦略を考えよ!成長ストーリーの絵を描け!など言われても考案するのは手に余ると容易に想像できる。

そういう中で、コンサルというのは担当者にとってはある種の拾う神に見えるのだろう。

コンサル料は祈祷料?

ある会社の偉い人は「コンサルというのは祈祷料である」と発言しており、筆者は的を射た発言であると思った記憶がある。

実際、コンサルというのは確かにそれっぽい案を考案して、綺麗なスライドを作って説明してくるし、説明された側は「確かにそうだな」と不思議と納得させられる。

そして、更にコンサルがニーズがある点では、「いち担当者が作った案は社内でボコボコにされる」という問題がある。いかに優れていようが、社内の若手や中堅が作った案を素直に褒めるおじさんなどおらず、いかなる理由を付けてでもバッシングしてやろうという気概に溢れている。(そんなことに熱意をあげず他にやることがあるのでは…と思うが)

権威としてのコンサルティング

そういう中でコンサルは大いなる価値を持つ。「コンサルがそういってるならそうなのかも」である。要は名の在るコンサル会社が提案したことによる権威性の付与である。同じ提案内容でも社内の中堅社員が説明したところでボコボコにされるのが落ちだが、コンサルが説明するとあら不思議、「なんとなく文句が付けづらい」のである。

そして、権威性が売りなのでコンサルとしてもバカ高いフィーを請求できるし、例えフィーがバカ高くても大手企業からすると、大したことのない金額になる。※勿論トップティアコンサルであれば凄まじいが、それ以下のコンサルであれば数千万円で済む。

なので、コンサルが事業会社に介入する隙が生まれるし、事業会社としてもフィーが高くても発注したくなるインセンティブが生じる。

コンサル内容によって成功したかどうかは実はたいした問題ではなく、作る過程で安心したいかどうかが大事なのである。

コンサルは新時代の神社である

そういうわけで、企業の中ではいくらフィーが高くても、事業戦略に権威性や説明力を持たせるためにコンサルを挟めてしまう引力が存在しており、これは前述したように祈祷料といっても相違ないだろう。

安心というのは際限がないもので、宗教然り安心を求める人は幾らでもお金を払う。それと同様で、担当者や企業経営者も「安心」を求め、今もコンサルに多額のフィーを支払い続けている。

もはやこれは新時代の神社なのではないかと思い、新年の記事にしたものである。