悲しき社畜が経済的自由を目指すブログ

これは、悲しき社畜が経済的自由を目指す物語である。

終身雇用と年功序列

悲しき社畜である私ですが、年功序列が根深く浸透している日の丸親方的な企業で働いています。

 

年功序列という制度

大半の日系企業がそうなのでしょうが、そこでは長く勤めれば務める程、給料があがっていく「年功序列制度」が機能しています。それはどういう仕組かというと、会社に長くいればいるほど、給与があがるという、終身雇用が前提となっている制度のことです。

 

終身雇用制度について

この年功序列は終身雇用制度と深く結びついています。長くいればいるほど上がる仕組み上、一番えらいのは最初から最後まで同じ会社で働き続ける労働者です。

 

いつから始まったのか

戦前では、給料が高いところにすぐに転職する労働者が多く、雇用の流動性が非常に高かったといいます。以下リンクが面白かったので引用します。

https://www.jacar.go.jp/english/glossary_en/tochikiko-henten/qa/qa22.html

本格的に普及したのは戦後からですが、その原型は戦前・戦中期にありました。

 

終身雇用制とは、会社が労働者を入社から定年まで雇い続ける、日本特有の雇用慣行です。

 

現在もほとんどの日本企業が、正社員に対してこの終身雇用制を保障しています。

 

同じ会社で真面目にコツコツ働き続ければ、一生食うには困らない。

 

こうした長期雇用の慣行はいつ頃できたのでしょうか。

 

戦前からすでにあったのでしょうか。




実は、終身雇用制が本格的に普及したのは戦後になってからでした。

 

しかし、その原型は戦前・戦中期を通してつくられてきたといえます。

 

もともと、戦前の日本は労働者の移動が激しい社会でした。

 

特に、工場で働く労働者たちは、熟練工になるとすぐに、より給料の高い職場へ転職してしまいました。

 

そこで、会社は優秀な人材を引き留めるため、様々な奨励制度を考えます。

 

勤続年数=年功に応じた昇給、積立式の退職金、手厚い福利厚生など、各企業がこれらの制度を導入した結果、1920~30年代にかけて、ホワイトカラー層を中心に長期雇用化が進みました。

 

とはいえ、ブルーカラー層の転職率は依然として高く、工場を「渡り歩く」者が後を絶ちませんでした。




日中戦争が始まると、労働者の移動はいっそう激しくなりました。

 

働き手となる成年男性が徴兵される一方、炭鉱・造船などの軍需産業は増産を迫られ、深刻な人手不足が生じたからです。

 

工場では技術者や熟練工の引き抜きがさかんになり、大問題となりました。

 

そのため、とうとう国が労働統制に乗り出します。

 

戦時下の限られた労働力をどう配置し動員するか、国家が管理する時代になったのです。





画像1 「産業戦士を激励する東條陸相」〔『写真週報』205号(1942年1月28日)Ref.A06031080000、2画像目〕

1938(昭和13)年に「国家総動員法」が出されると、翌年には「従業者雇入制限令」(昭和14年3月30日勅令第126号、Ref.A03022347300)が定められ、軍需産業に関わる労働者の転職には国の許可が必要になりました。

 

これは後に「従業者移動防止令」(昭和15年11月8日勅令第750号、Ref.A03022515000)へと改正され、軍需産業以外の労働者も対象になります。

 

さらに、日米開戦が近づくと、「勤労は皇国の奉仕活動」として、「国民皆労」が強化されました。

 

1941(昭和16)年8月の閣議決定労務緊急対策要綱」(Ref.A03023597300)により、「労務調整令」(昭和16年12月6日勅令第1063号、Ref.A03022656600)が出され、労働者の自由な転職・解雇は全面禁止になりました。

 

職場の固定化とともに、賃金の統制も進みます。「賃金統制令」(昭和14年3月30日勅令第128号、Ref.A02030148500)によって、軍需産業の初任給は一律とされ、厚生省主導の「賃金委員会」(Ref.A14100720800)が賃金額を決定することになりました。

 

同時に、労働者の生活安定と意欲向上のため、年1回の定期昇給や退職金の支給が半義務化され、賃金制度の統一が図られます。

 

また、職場ごとに「産業報国会」(Ref.B06050461200)が組織され、「産業戦士」としての労働訓練のほか、栄養改善・保健衛生の講習会、慰安・娯楽行事といった福利厚生活動も行われました。

 

こうした「官・労・資」三位一体の総力戦体制が目指されるなかで、「国・企業は労働者の生活を保障し、労働者は国・企業のために働く」という「報国」的勤労観と、それにもとづく長期雇用の慣行が、国民全体に広まっていったといえるでしょう。





画像2 「皇居前をデモ行進するメーデー参加者」米国国防省撮影
(株)文殊社・(株)池宮商会所蔵

戦後、GHQ民主化方針により、日本の企業は解体・再編されました。

 

さらに、「労働三法」と呼ばれる
・「労働組合法」(昭和20年12月21日勅令第106号、Ref.A04017709400
・「労働関係調整法」(昭和21年9月26日法律第25号、Ref.A04017791300
・「労働基準法」(昭和22年4月5日法律第49号、Ref.A13110812500
の成立によって、全国的に労働運動が活発化します。

 

戦後の貧困と混乱を経験した労働者たちは、何よりもまず生活の安定と保障を求めました。

 

1955(昭和30)年に始まる春闘を通じて、賃金のベース・アップの代わりに、年功に応じた定期昇給が約束され、不当な解雇は規制されました。

 

また、退職金の支給制度も一般化しました。

 

こうして1950~60年代の高度経済成長を背景に、大部分の日本企業ではホワイトカラー・ブルーカラー問わず、年功序列の昇給(年功賃金)を前提とした終身雇用制が定着していきます。

以上のように、戦後に今のように終身雇用と年功序列が始まったと推測されます。

職能主義と職務主義

しかし、そもそも長くいるからって優秀とは限らないですよね?なんですけれど、工場での労働等は熟練度がものをいうので、費やす時間が多ければ生産性はあがります。そのような背景で、「長く仕事をしていれば能力があがる」というコンセンサスができていき、それを給与制度と結びつけたのでしょう。そして、このように能力がある人に対して対価を払う主義を職能主義といいます。対して、職務主義とは、やった仕事自体に対して対価を払う主義です。これはエンゼルバンクで使われた比喩なのですが、英語とフランス語を習得している教師と、英語だけを習得している教師の給料はどちらが高いかという話が理解しやすいです。職能主義では前者の給料が高く、職務主義では、英語の授業をしている限りはどちらの給料も同じです。つまり職務主義では、人の能力を見て、職務主義はやった仕事だけを見るような観点をとります。

 

何が問題なのか

今は同一労働同一賃金が話題になっていますが、年功序列の何が問題なのでしょうか。そもそも、同一労働同一賃金は職務主義が大前提です。加えて、長くいるからといって職能があがっているわけではないという点です。工場勤務など単純な労働と異なり、現代の仕事は複雑な頭脳労働が多くなっています。そのような業務においては、長くいるからといって絶対的に優れているというケースは多くなく、その場合はん。年次が浅い者から見ると、全く仕事をしていないようなおじさんが散見されるようになります。そうなると仕事のモチベーションが下がり、「実力主義」とされる企業へ転職していくように組織の指揮全体が下がっていきます。なのでそこを買えないといけないのですが、日本では解雇規制が非常に強く、硬直的な組織構造を簡単にかえることができません。ですので、まずやるべきは雇用の流動性を高めることで組織のモチベーションをあげることなのではないでしょうか。

 

あとで書く

日本の解雇規制について