Googleの対価と効用、徳のデジタル化について
東大の渡辺努先生のセミナー「技術革新と経済停滞のパラドックス」が大変興味深かったので、言及されていたGDPとテクノロジーの部分について、考察してみたいと思います。
新しい物価理論――物価水準の財政理論と金融政策の役割【一橋大学経済研究叢書52】 (岩波オンデマンドブックス)
- 作者: 渡辺努,岩村充
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効用は上がっているが、GDPは下がっている。
GDPをはじめとする統計は、価格データを使って基本的に作成されていますが、テクノロジーの発展により、価格がゼロのサービスが多く存在します。その代表的なものとしてWikipediaを挙げます。Wikiを例に考えると、Wikiによって人々は敢えて辞書を買わずともあらゆる情報を無償で得られるようになりました。そうすると、人々の効用は上がる一方でGDPは百科事典市場の売り上げ減少分下がることとなります。そういうことがこれからも起きると考えると、社会的効用とGDPのリンクは今後更に弱まるのではないかと想像できます。
また、無償サービスで忘れてはいけないのがGoogleです。Wikipediaと同様、ユーザは無償であらゆる情報を調べることができます。とはいえマネタイズの面で両者は異なります。Wikiはユーザの寄付で成立しているのに対し、Googleは広告主から広告料を貰うことで成立しています。
話を少し変えると、テレビが普及し始めたのは1950年頃からですが、テレビによって人々は無料でコンテンツを楽しむことができました。なぜ無料で番組を見られるかと言うと、CMによりコンテンツプロバイダーは利益を得ることができたからです。そう考えると、ユーザは「CMを見せられる」という対価を払う代わりに、コンテンツを楽しめるというバーターになっていると捉えることができます。
Googleはテレビのビジネスモデルの延長線上にあるのではないか、と考えることができます。しかし、ここである問題があります。それは、果たしてGoogleがもたらしている価値は、ユーザが支払う価値とバーターになっているのかというものです。
ある研究者によると、Googleの検索エンジンがもたらす満足度=効用と、検索エンジンを使う時にユーザが払っている対価は見合わないという研究成果があげられました。つまり、Googleに払っている対価は、検索エンジンから受け取っている満足度の対比でいえば極僅かになるということです。
これは、技術革新を起こしている企業は、実は技術革新の果実を十分に取れていないとも言えます。Googleは360億ドルの広告収入を得ているそうですが、それに対して、Googleが検索エンジンなどで生み出している効用は、だいたい1500億ドルくらいで、明らかに生み出している価値の方が大きいことになります。つまり、Googleの検索エンジンはユーザに計り知れない価値をもたらしていると捉えることができるわけです。とはいえ、個人的には個人情報の価値は今後どんどん上がっていくと思うので、そこのギャップは縮小するだろうと思っています。
GDPは確かに経済活動を図る指標として優れていますが、ある一面しか捉えることができないため、Wikiの例で挙げたような見方をすると不景気になっていると考えてしまいます。しかし、それは経済の片面しか見ていないことになります。前述したようにテクノロジーの進展により経済活動は高度化され、GDPにより実際の経済活動を捉えることは困難になっていくので、他の見方をする方が適切だという流れになるでしょう。
貨幣経済と非貨幣経済
では、テクノロジーが進展しているなかで、どのように経済活動を捉えると良いのか。そこで、渡辺先生は、貨幣経済と非貨幣経済に分けて考えています。お金を払って物を買う貨幣経済とWikiやGoogleのようにお金を伴わない非貨幣経済というように。とはいえ、非貨幣経済は昔からありました。家庭内の労働は非貨幣経済の典型です。これは貨幣を介在させずに、あるコミュニティの中で評価経済することによって成立しています。そうした面の経済活動も捉える必要があるということです。将来的には、貨幣経済は小さく、非貨幣経済は大きくなり、重なる部分がかなり増えるのではないかと予想します。
「徳」のデジタル化
経済活動は今後、どのようになるのでしょうか。私としては、これまで具現化されていなかった価値が、テクノロジーによってどんどん経済活動(not GDP)に表れてくると思います。例えば、先述した非貨幣経済の中での家庭(コミュニティ)労働、このような価値はコミュニティ外にも表出されるのではないかと思っています。他にも、道のごみを拾ったり、落し物を届けたりという貨幣経済的には意味をなさないものも、価値が計測・蓄積されるのではないかとも思っています。良いことをすると「徳のある行動」と言いますよね。今までは社会全体に認知されずらいものだったのが、どんどん仕組みにビルトインされるという想像もしています。それって徳がデジタルによって社会に実装されるみたいなもんじゃないの?って思うわけです。
中国では、アリババやテンセントなのが信用スコアという制度を作っていて、個人の職歴や行動データによって融資利率やサービスの利用に影響させています。これは一見、監視社会だと恐れるかもしれませんが、人々の評価をよりフェアにさせる効用があると見ています。例えば、昔は人の行動データが得られなかったので、学歴のようなデータのみで判断していたものが、他のデータを加味することによって、お金が無くて大学いけなかったけど信用スコアが高いから大丈夫だよね、みたいな頑張った人が報われる社会になります。勿論、国家による監視が進むという面も否定できませんが、テクノロジーの進展で見逃された価値が収集され、いわゆる「徳」がデジタル化される時代が来るのだろうと密かに考えています。
市場価値は、価値全体のほんの僅か
市場経済は価値全体のわずかな部分に過ぎないと思っています。今までは貨幣を通じてしか交換ができないから市場経済だけを見ればよかったのですが、SNSやその他サービスにより、貨幣価値以外の価値が認められるようになっています。そして、そのような信用価値は貨幣価値にも変換可能です。例えば圧倒的なフォロワー数はインフルエンサーとして、貨幣価値に変えることができます。敢えて言うと、貨幣の適用範囲が今まで狭すぎたのでしょう。貨幣価値以外の価値が今後、どんどん大きくなるでしょう。
とまあ、長くなりましたがまとめると、GDPでは経済活動全体を捉えることが難しくなっているので、全体を把握するためには経済的取引が発生していない箇所も見る必要があるということ、個人の行動に評価ポイントが付与されたりのような、あらゆる行動が可視化されるので、「お天道様がみている」のような徳がデジタル技術によって、世界は構築されるというお話です。
若干、ブログの主旨とは慣れていますが、このようにいろいろと考えることができて面白かったので、機会があれば皆さんも読むといいですよ。。。